
小説「龍虎会談」発刊についてのお知らせ
幕末、越後長岡藩に2人の子どもが生まれました。1人は河井代衛門(禄高120石)の子で後の河井継之助(1827年1月生)、もう1人は小林又兵衛(禄高100石)の3男、小林虎三郎(1828年8月生)であります。河井継乃助は司馬遼太郎先生により、時代小説『峠』(新潮文庫・昭和50年30日刊)で紹介されております。また、小林虎三郎は山本有三により、戯曲『米百俵』(新潮社・昭和18年6月20日刊)で紹介されましたが、軍より反戦の思想ありとして発売禁止にされてしまった経緯があります。しかし、昭和50年8月、長岡市長小林孝平氏により、この不朽の名作は『米百俵−小林虎三郎の思想』として再発行されました。平成13年5月7日、小泉純一郎総理が所信表明演説に『米百俵』を引用したところ日本中に大反響が起こり、年間300冊程度しか売れなっかたこの本は小泉効果により全国から注文が殺到し、急きょ増刷をする状況であったといいます。河井継乃助と小林虎三郎=この2人の個性は正反対であり、継乃助は直情行動派、虎三郎は熟慮慎重派と考えられます。1年違いで生まれた同郷の2人ですが不思議なことに実際に直接出逢ったことはありません。時代の激動に殉じたこの2人に加え、約40年前に生まれ、晩年同時代を主に関東で生きた二宮尊徳翁(1787−1865)の話題も織り交ぜながら、夢の世界で出逢っていただき、屈託のない対談、談義をするという想定が本編です。私ごとき者が、約130年前の偉人の故事を想像し、事実にはない2人の会談を著すなどということ自体が大変非礼であると重々思いますが、あえて記してみたいという想いがつのり、執筆を試みたのであります。平成16年5月 山崎 宗弥
「想定 夢の龍虎会談」
明治維新から約130年有余年後の盆を機会に、冥土からお二人の魂を河井継乃助終篤の座敷にお招きし、置き火鉢を囲んで回顧の対話をしていただいた、という想定である。
会談の時期 平成14年8月15日
会談の場所 福島県南会津郡只見町塩沢
河井継乃助記念館の座敷、継乃助が息を引き取った部屋。
2003年 山ちゃんの瓦版 第63号