そうやさんの瓦版 06

「今、日本人が言うべきこと」

写真 今、世界の注目の的は、六カ国協議(日・米・中・露・韓・北鮮)だと思います。 各国が主張を言い張って中々まとまらない状態です。日本が主張している拉致問題は端へ寄せられて、核の問題だけが協議されているようで、北鮮は核を停止する見返りに重油を200万トンと電力200万キロワットを要求し途方もない事を言って協議がまとまりません。 この協議は、北鮮が核を作る事、保有国とならないようにと協議している事で、核すなわち原子爆弾の事であります。世界中で日本だけが原子爆弾の被爆国です。1945年8月6日、9日と広島、長崎へ落下され甚大な被害を受けています。それと同じ物を北鮮は作り保有しようとしているのです。それを阻止しようとして協議をしているのです。 しかし、米国、中国、露国は核を保有しているのです。「俺は持っているがお前は持つな」に等しい理屈と思います。核兵器は絶対使用してはいけない兵器です。もし一国が使用すれば報復に使用し連鎖的に使い出したら地球は破滅します。故に全世界の核兵器を全部廃棄してから北鮮に言うべきと思います。 世界中が核兵器の生産研究を中止して平和のためにその費用を使用すべきと思います。使用出来ないと思われる核兵器を持っていてどうしようとするのでしょうか。 62年前(1945年)に原爆を投下された被害国だからこそ世界中に向かって核兵器破棄を大声を出して言うべきだと思います。幸い13日に6カ国協議は合意事項をまとめた共同文書が採決し閉幕しました。この事項が平和に向かって前進する事をひたすら祈るものです。 山ちゃんの瓦版 第95号

板荷自然美術館探索

写真 東武日光線板荷駅を下車して次の駅、下小代駅までの道を歩いて自然を満喫し楽しんで頂く道案内を致します。もし浅草からおいでの方は、スペーシアで新鹿沼まで来ていただいて新鹿沼駅で普通電車に乗り換えて下さい。時間があるようでしたら外に出て駅前の手打ちそば美庵で軽く食事をするのも一興かと思います。時間が来たら日光行きに乗り次の北鹿沼駅を過ぎて一つ目の駅が目的地、板荷駅です。下車して電車が出発すると目の前に山が二つ迫ります。この山を白雲山と称します。右手の山は半分削り取られ東北道を造る際の道床に運ばれて残った山の塊が異彩をはなっています。駅舎を出て一息入れると目前に乳房を二つ伏せたように見える山が目に入ります。その山は紫雲山と呼ばれている山で杉や桧に覆われて想像をめぐらせます。 では出発します。駅前の道を出るとすぐに県道に出ます。山が迫ります。左折して600m位行くと柿沢へ行く道に出合います。周りは小さい田園に変わります。季節がくれば田植えが始まり蛙の楽園に変わるでしょう。柿沢橋を渡り100mほど行くと「わくわくネーチャーランド自然体験交流センター」へ行く案内看板が右折を示し山道へと道しるべが教えます。行けばぽつぽつと農家と畑が続き自然の中へひたし付けてくれます。約1km位の桧の樹間を歩くと色々な事を空想させてくれて足を軽く進ませてくれます。目の前が明るくなり広場が出現しそこに総桧造りのネーチャーランドがドンと建っています。この建物は鹿沼市が小学生の研修のために建て3〜4泊の宿泊学習に使用しています。土・日曜日には一般にも開放されるそうです。桧造りの風呂は匂いもただよって良いそうです。緑の空気を吸いながら昼食休憩を取り街では浮かばない空想にふけられるのもここだけの特典のような気もします。帰りは、来た道を途中までもどり黒川の白沢橋を渡り民家の間を通り県道に出ます。少し行くと道端に地場直産の店フードショップがあり立ち寄って買い物をするのも面白いです。田園道を突っ切って東武日光線を横切り少し山道に入り、いずみの岡住宅団地内を通り文挟街道に出て道を下り、赤行橋を渡ると合併して日光市になった下小代です。突き当たりを左折して間もなく東武日光線のガードをくぐり、少し行くと元三菱銀行頭取をした加藤武男様邸宅跡に出来た手打ちそば行川庵があり、さっそく立ち寄ってそばを注文して味見するのも旅の一興です。そこから下小代駅は目の先です。野良道のような道路を行くと新発見の植物こうほねに出合い出来るかもしれません。板荷駅から下小代駅まで10km足らずの行程ですが山あり川あり変化の多い自然を楽しめます。見ようによっては自然の造形の美術にも出合出来るでしょう。きれいな空気が吸えて短い距離ですが変化に富んだコースです。試しに歩いてはどうですか。帰りは下小代駅から新鹿沼駅まで各駅停車で、新鹿沼駅でスペーシアに乗り換えて浅草まで。さようなら。 山ちゃんの瓦版  第96号

益子で感じたこと

写真 今年の大型連休は、久しぶりに益子町の陶器祭りを見に行きました。町へ入るのには自動車が数珠つなぎで大変な賑わいで時間がかかりました。町のメインストリートは、立派に整備され電柱もなく歩道は人の流れで一杯で、お店の前へ車も止められず、共販センターへ入る事もできず、押し出されるように人の波と陶芸店の町並みを見ただけで通り過ぎてしまいました。 益子町は、さすが陶芸の里だけであって大げさに言うと日本中の人が集まったようで、歩いている人がビニール袋に買った陶器をこれ見よがしにぶら下げていました。町中が陶器一色で飾られているようで、うらやましくも感じられました。鹿沼でも五月の末にはさつき祭りが行われますが、会場は町外れなので来た人々は町へは寄らず帰ってしまいますので、鹿沼市の他の商店には経済効果が生じませんが、益子町は町の中心に陶器市場の会場があるので、他の商店への経済効果が見られます。鹿沼でも町を興げてのお祭りがありますが、何か単発的で町の商店には一向に経済効果が行きわたらないようであります。今からでも市民こぞって考えを新たにする必要があると思います。 話を益子に戻します。今日は何も買わないと思って出掛けましたがだめでした。益子には買わせる何かの力があって、島田恭子さん作の抹茶の茶碗を買ってしまい、さらに、佐藤 巧さん作の辰砂の楽茶碗を買ってしまいました。鹿沼へ行ったら鹿沼だけにしか無くて買わずにはいられない特産物があれば良いなとつくづく感じながら帰りました。 山ちゃんの瓦版 第98号

鯉に恋した15年

写真 平成19年6月25日、只見川の錦鯉放流の幕を閉じてきました。そこには一抹の寂しさを感じました。 思い出せば平成5年5月4日、友人と福島県南会津郡只見町の田子倉ダムを観光し、同町の河井継之助記念館を見学し只見川沿いを観光しながら三島町西方の西隆寺を参詣に行きました。当日は寺の祭りで檀家の人が多数本堂に居て何か仕事をしていました。賽銭をあげて拝んでいたら「お上がりなすってお茶をどうぞ」と言われておよばれしました。すると空になったお茶碗に酒をついでくれました。サービスの良い寺だと思っていたら「どちらからおいでですか」と尋ねられました。栃木県の鹿沼市から来ましたと答えたら本尊様の前の方から「鹿沼のやつら悪いやつらだ」とののしられました。私は一瞬頭にきて「何が悪いのだ」と聞き返すと「鹿沼のやつら山の物も川の物も根こそぎかっぱらって行くからだ」と返事がありました。「俺らはそんな事をしに来たのではない。こんな酒飲めるか」と席を立ってしまいました。鹿沼に対する侮辱であります。 それが忘れられず三島町を調べたら特別町民制度があったので早速登録して町民になりました。8月三島町へ行きふる里荘の畑さんに「俺も町民になったから一言言わせろ、桐の町三島と言うならば桐の木のオーナー制をやれ、それと目の前の只見川が真っ黒だからきれいにしろ」と言ったが彼は出来ないと言いました。私は言葉のはずみで俺がやってみせると言って帰りました。 11月3日、ふる里荘に行き畑さんを呼び出し車に積んだ錦鯉を見せてこれで川をきれいにするんだと言いました。彼は冗談だと思っていたので驚愕して町長に報告すると言いましたが、俺は一回で止めてしまうかもしれないからと彼に手伝ってもらって桐の里クラブの下へ放流しました。それを3年続けた時に山崎がやっていることは環境破壊に通じると言われたので初めて三島町の町長に会って尋ねたら放流しても良いと許可が出たので元気が出て、以来年に2〜3回方流した年もあり今日まで続けたのです。西隆寺で言われたのは仏の声と理解出来る心にもなり鹿沼の名誉挽回と意気込んで励んだのです。しかし只見川はでか過ぎて希望通りにはなりませんでした。15年やってみてつくづく自分の無謀だったことが体力の衰えとともに感じました。幕開けも肝心ですが自分で幕を閉めるのも大切だと気がついたのです。 池もこわして埋め戻して元の土地にしなければ幕を閉じた事にはなりません。これからまだ大変な後始末が残っています。しかしやり遂げなければ一仕事をやった事にはなりません。事業とはそう言うものでしょう。今後なにか新しい奉仕作業を見つけてそれにむかってまん邁進したいと思っています。 山ちゃんの瓦版  第100号

三島町長 齋藤茂樹様が弊社をご来訪

写真 平成19年6月26日、福島県大沼郡三島町長齋藤茂樹様が弊社をご来訪くだされました。その訳は私が平成5年より三島町を流れる只見川にしてきた錦鯉の方流に幕を閉じたことに謝意を表するためでした。(詳細は山ちゃんの瓦版100号に記載) 朝から降っていた雨は、午前11時頃には止み晴れ間が見えてきました。到着時刻の予定通り黒色のセルシオが音もなく入ってきました。町長さんの来社でした。ご一行は小堀庄太郎さんと目黒 直さんの3名でした。ひとやすみの後に壊した池跡をみていただき感無量でした。 その後、屋台のまち中央公園に行き屋台を見学しました。そこには鹿沼の屋台27台のうち銀座1丁目、2丁目、久保町の3台が展示されてあります。その豪華絢爛に驚いておられました。正午、中津商工会議所会頭をはじめ企業人の会の有志の方々が待つ歓迎会場のみしまさんに行きました。そこにはすでに一同そろって町長一行を待っていてくれました。企業人の会長高橋 宏様が先ず開会の言葉を述べ中津会頭が歓迎の挨拶をしました。中津会頭は5年ほど前に企業人の会主催のシンポジウムで町長と対談した経緯がありました。次に町長の挨拶と感謝状の贈呈がありました。その感謝状は桐のまち三島にふさわしく桐の木で造られ、桐の板面に町長の直筆で墨跡あざやかに私の放流に対して身にあまる謝意がのべられており感激しました。光栄の極みであります。 三島町長はすごいアイデア町長です。三島町は冬は雪に埋もり仕事が出来ません。故に昔から冬仕事は山から取ってきた山ブドウの茎の皮やマタタビ、ヒロロ、竹などを使った細工物を作ってきました。それらを町の工芸品として世に広め平成15年には国の伝統工芸品に指定されました。その奥会津編み組細工は、より有名にさらに宣伝するために工芸品展やものづくり教室、工人まつりなど町をあげて協力し賑わっています。更に春夏秋冬只身川を中心に観光にもアイデアをとりいれ、屋形船を造り「つるの湯丸」と称して只見川の遊覧や温泉事業等にも力を入れて活躍しています。 今後は、鹿沼市民の皆様と三島町民の皆様が文化、経済の幕開けとして相互交流して発展することを願うものであります。 山ちゃんの瓦版 第101号

道徳心

写真 約150年前の人、二宮尊徳翁は『道徳を忘れた経済は罪悪であり経済を忘れた道徳は寝言である』と言われましたが、現在が真にその通りの時代になりつつあるような気がします。道徳は地に落ち、人心は荒れ放題、何があっても誰も知らんぷり、自分だけ良かれ主義の世の中に転落しつつありそうです。 高学歴のある人が、自分だけの経済(金もうけ)だけを考え道徳を忘れ証券取引法違反をして懲役2年6ケ月の判決を受ける事件がありました。経済関連の犯罪は知能者が行ない、悪を承知の上で行うので偶発的なものではなく許されるものではありません。最近では、防衛省の高官と商社の幹部が贈収賄で逮捕された事件がありましたが、これなどは道徳を忘れた最たるものであります。最高学府を経てきた人がなぜこのような悪に走るのか、単なる欲のせいだけでしょうか。理解に苦しみます。 経済を忘れた道徳は寝言であるとも言われましたが、寝言ではすまない場合もあります。それらしく立派な事を言って資金を使い、その資金が生かされずになっている事例が数多く見られます。それらは総て税金で作られたものだったらどうでしょうか。寝言であったではすまないと思います。そのような例があちこちに見えてきています。その負担が全部税金となって国民にかぶさってくるのです。最後には夕張市のようになってしまうかも知れません。注意が必要であります。 道徳はどこで学び身に付けるかとなると非常に難しい。各個人の問題であって強制出来るものではありません。国が何かの方法をもって教育するしか方法はないと思います。人の心の痛みがわかるような優しい心を育てる教育が必要です。それには心のゆとりが必要です。ゆとりには経済的なものも必要です。その経済とは経国済民のことでありよく国をおさめ国民を豊に助ける事であります。ゆえに立派な政治家が必要でありその政治家は国民が選ぶものであります。 山ちゃんの瓦版 第105号

年頭に思う

写真 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。 さて去年を振り返りかえってみますと、世相を表す文字が『偽』という文字に決定されて発表されました。私は今まで人の為になるようにと教育されて生きてきましたので、「人べんに為」と書いて偽。ぎ。にせ。と読むことにショックを受けました。今までの私の人生は偽りであったのかと悩み続けました。事の起こりは有名食品メーカーが製品の不正をはかり期限切れの日付シールを張替えたり、売れ残り品を作り直して売ったり、内容物が違っていたり、不正を働いて製品をブランド品として売ったことが事件となったもので、人が行った行為が偽物作りとなり去年は偽と明示されてしまったのです。 何故にこのような恥ずかしい行為が起きたのか。単に売り上げの増大を計り利益のためなのか、倫理観が無くなってしまったのか大いに反省すべき事であると思います。食品だけでなくその他メイドインジャパン製の信用に傷を付けてはなりません。製品ばかりではありません。人の心に不正があっても同じ事であり、行為に不正があれば偽が出来るのであり不正は悪であります。 現在は悪がはびこり過ぎているようです。新年からのニュースでも悪の報道が多く見られます。早急に手を打たなければなりません。道徳を学び広めなければならないと思います。行為は性悪により偽となり、行為は性善により義となります。人は人のためになり、自利、利他に生きる。私はこのような年になるように祈り努力して行きたいと思います。 山ちゃんの瓦版  第106号

首長の条件 座右の銘を心得るべし

写真 首長の条件 座右の銘を心得るべし 首長という言葉は辞典には見当たりませんが、首帳は辞典にあります。戦場で討ち取った敵の首と、それを討ち取った者の氏名を記した帳簿であります。故に総理、知事、市町村長を首長と呼称するのは誤りであると思われますが、一般化されてしまっているので使用させていただきます。 首長の条件、首長は選挙権を有する人が選挙によって投票して選ぶもので、選挙人の自由意志によるもので、強要されたり、買収しても、されてもいけません。 正当に当選された人は即、首長になり行政にたずさわりますが、初心を忘れずに役目をまっとうしなければなりません。ともすると、だんだんメッキがはげて意見を聞かなくなり、独裁的になり忠告をする人を遠ざけて、胡麻すり的な者を近づける傾向になります。それが、一般的な人間の弱さかも知れませんが、首長たる者の最悪な行為であります。あってはならない事であります。 国民の意見に耳を傾け熟慮決断したなら、方向を誤らず時勢を見ながら舵を取り、第一に国民の為になるかを念頭において政治を行うべきと愚考いたします。それには確固たる哲学が必要であります。何も自分で考えたものは難しく実績はありませんから、先人の教えを利用するのが最適かと思います。種々な本を読めば自分に適した名言が発見出来ます。それを座右の銘にすればよいのです。年を経れば座右の銘を積み重ねて年輪とすれば良いのです。 政治家や財界人や学者、評論家等と称する人達は、日本は世界第2の経済大国と言っていますが、本当にそうなのか疑問であります。経済を金銭的な眼でだけで見て、経国済民を忘れているように見えます。国民の中でもとくに庶民は、年金の値上りや諸税の値上がり、不況、少子老齢化やもろもろの悩みを抱え込み将来に不安をもって生活している状態であります。庶民は済民を期待しているのであります。 故事に道徳を忘れた経済(経国済民)は罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言であると言われております。バブルの崩壊は罪悪でなく犯罪であります。足銀の問題もそれに近いものがあるでしょう。経済を考えない道徳は何も出来ない夢のようなものであり、国を良くする事と同時に庶民の生活を豊にすることを考える事が首長の役目であると思います。 次は至誠、勤労、分度、推譲でありますが、私なりに述べれば、至誠は、この上なく真心を他人に尽くす人間愛であります。勤労は、仕事に精を出し汗をかくこと、分度は、自分の能力に応じた事を行い、年毎に成長し、分度を越える事をやってはなりません。推譲は、社会に還元する事、いわゆるボランティアであります。 先憂、後楽、国を治める者は世の憂いに先立ってこれを憂い、世の楽しみに後れて楽しむべきの意であります。首長たるものは国民の憂いを無くするのが第一で、自分の安楽は後の後であると言う古語であります。 自利 利他、自ら仏道を修行して悟りを得るとともに他人に仏法の利益を得させること、大乗菩薩道の精神のことで、自利とは利他を言うことで、他人が先に利を得られるように計らい、それが回りまわって最後に自分の所へ回り来ることであります。 まだまだ首長の座右の銘はいくらでもありますが、いずれも国民第一主義で行動をすべきであります。それぞれ解釈によって意味や考え方に違いはありますが、究極の哲学は国民のためであり相通じるものであります。 考える精神は同一であります。決して「李下に冠を整す」ような事はしてはなりません。 山 崎 宗 弥